コンパッソ・ドーロ賞とは?
コンパッソ・ドーロ賞は、デザイン誌「DOMUS」を立ち上げたことでも有名なジオ・ポンティの発案によって1954年にイタリア、ミラノのデパート「リシェナンテ」によって自社で取り扱うイタリアンデザインの品質向上を目的として創設された世界で初のデザイン賞です。
黄金のラインを引くためのコンパスが賞の由来となっていて、完全な美を創り出した工業デザインに対する最大の評価として命名されました。
1964年にからはADI(イタリア工業デザイン協会)に主催が移行され、以降はADIによって主催、管理されています。
ADIの管轄になってからは、リシェナンテの取り扱いだけではなくより広範囲な工業デザインを対象とするようになり、1979年以降はミラノ市のバックアップも得られるようになったことから、ミラノの重要な文化事業の一つにもなっています。
審査は、デザイナー、批評家、歴史家、専門ジャーナリストで構成された専門家委員によって行われ、コンセプト、市場性、形態的・技術的・経済的なソリューション、総合的品質などの審査基準をもとに製品、デザインに対して現在では3年に1度贈られることになっています。
イタリアというと、カッシーナ、アルフレックス、B&Bイタリア、ポルトローナ・フラウ、マジス、カッペリーニ、ドリアデ、モローゾ、ザノッタなど世界を代表する名だたる企業が名を連ねるデザイン大国ですが、そのイタリアにおいて最も権威ある賞として認識されているコンパッソ・ドーロはある意味世界一の栄誉といっても過言ではないほどの最高の栄誉です。
ADI(イタリア工業デザイン協会)って何?
1956年にジオ・ポンティ、マルコ・ザヌーゾ、アルベルト・ロッセリ、ヴィコ・マジストレッティ、アウグスト・モレッロらによって設立されました。
デザイナー、研究者、教師、評論家、ジャーナリストなどによって構成される専門組織で役000人のメンバーで構成される文化的、経済的にも工業デザインの発展に対して主導的な役割を担う集団です。
コンパッソ・ドーロにも種類がある
コンパッソ・ドーロと一口に言っても実は様々な種類があります。
現在では年間を通じて優れたデザインをインデックスとして数百のデザインをノミネートし、その中から最も栄誉ある賞であるコンパッソ・ドーロ賞が選定されます。
他にもコンパッソ・ドーロからもれた作品も佳作として100程度のデザインが選ばれます。
プロダクトだけではなく、個人のキャリアに対して贈られる「Compasso d'Oro alla Carriera」や国際賞として外国人に対して贈られる「Premio internazionale」、そして若手に対して贈られる「Targa Giovani」といった賞もあります。
どんな作品が受賞しているの?
1954年からこれまでに様々な作品がコンパッソ・ドーロ賞を受賞しています。
大体一度の開催で10~20程度の作品が選ばれるため、これまでに数百の作品がコンパッソ・ドーロの栄冠に輝いていることになります。
初年度の1954年にはブルーの・ムナーリの「Zizi」であったり、翌1955年にも選定が行われているのですが、計7度のコンパッソ・ドーロを受賞しているアッキレ・カスティリオーニの「Luminator」であったり、近年ではルーチェプランの「HOPE」やコンスタンチン・グルチッチの「MYTO」など時代の移り変わりと共に様々なデザインが栄冠を手にしています。
日本人の受賞者はいる?
日本人では喜多俊之がイタリア以外に居住している外国人で工業デザインにおいて優れた功績を残したデザイナーに対して贈られるコンパッソ・ドーロの国際賞である「Premio internazionale」を2011年に受賞しています。
そして、この喜多俊之の2011年の受賞が日本人としてだけではなく、アジア人として初のコンパッソ・ドーロに輝いた歴史的瞬間でもありました。
2014年には、喜多俊之と同じ「Premio internazionale」を日本の工業デザイン界の発展に貢献してきたGKデザイングループ会長栄久庵憲司が受賞しています。
そして、イッセイ・ミヤケがアルテミデより製品化した照明「陰翳 IN-EI ISSEY MIYAKE」でコンパッソ・ドーロ賞を受賞するという快挙を成し遂げています。
こうしてみると日本のデザイン界も世界に向けて年々影響度を増してきているという感覚になり、うれしくなってきます。
今後もこうした素晴らしいデザイナー、作品を日本、または日本人が発信してくれると嬉しいですね。