Tiffany ティファニー
ティファニーを支える天才デザイナー
ティファニーを彩る天才デザイナーたち
ティファニーの200年近い歴史を振り返ってみた時、それは天才と言われるデザイナーたちの歴史と言い換えても過言ではありません。
創業者のチャールズ・ルイス・ティファニーからパロマ・ピカソに至るまで数多の天才がティファニーというブランドを高みへと引き上げたのです。
それぞれのデザイナーがどんなスタイルでどのような作品をデザインしたのか、またどんな功績を残してきたのかを見ていきましょう。
「キング・オブ・ダイヤモンド」 チャールズ・ルイス・ティファニー
(出典:http://www.tiffany.co.jp/)
ティファニー最大の功労者はどう転んでも創業者のチャールズ・ルイス・ティファニー以外にはありえないでしょう。
しかも彼はただティファニーを創業しただけではありません。
ティファニーにとって、またアメリカにとっても実に多くの功績を残した人物でもあるのです。
チャールズ・ルイス・ティファニーの最大の功績は、ヨーロッパの貴重な宝石を入手し、アメリカに持ってきたこと。
今ではティファニーの代名詞となっているダイヤモンドの販売を始めたのも当然チャールズですし、有名な「ティファニー爪(ティファニーセッティング)」を考案したのも彼なのです。
1887年には、フランス王室のオークションで数多くの名品を競り落とし、アメリカに世界最高峰のダイヤモンドジュエリーをもたらし、ティファニーの名を世界に轟かせます。
なぜチャールズが「キング・オブ・ダイヤモンド」と呼ばれたのか分かりますよね。
そして、ティファニーにとってもうひとつの目玉となっている銀製品も創業して間もないころから取り扱いを開始し、シンプルでエレガントな銀製品というのを定着させました。
また忘れてはいけないのが、アメリカ初のメールオーダーカタログの開始とそのカタログの表紙に使われていたティファニーブルー。
現在ではブランドカラーとして当たり前となっているティファニー独特のブルーボックスもカタログの表紙に最初に使われたのをきっかけにブルーボックスとして採用したのです。
こうしてみると現在のティファニーの原形はほとんどチャールズの時代に作り上げられてしまったと感じさせられますね。
「アメリカンスタイルの祖」 ポールディング・ファーンハム
(出典:http://www.tiffany.co.jp/)
ポールディング・ファーンハムの最大の功績は、1889年のパリ万博でのことです。
アメリカ最高の宝石学者ジョージ・フレデリック・クンツが発掘した色鮮やかな宝石をまるで本物の蘭のようにデザインしたジュエリーは大きな反響を呼びました。
この年ティファニーは銀製品や皮革部門など数々の賞を受賞しましたが、ジュエリーにおいてもゴールドメダルを獲得しています。
この実績が認められ、チャールズ・ルイス・ティファニーがこの世を去る前年の1901年にはポールディング・ファーンハムがジュエリー部門のトップにたちました。
ヨーロッパのスタイルにただ追従するのではなく、アメリカ原産の宝石を用い、自由な発想と独自の感性でヨーロピアンジュエリーにはないアメリカンスタイルのジュエリーを確立したというのはとても大きな意味を持ちます。
「マルチな才能で歴史に名を残す」 ルイス・コンフォート・ティファニー
(出典:http://www.tiffany.co.jp/)
2代目というと一般的にはあまりよいイメージを持たれない方もいらっしゃるかもしれませんが、ルイス・コンフォートはジュエリーだけでなく、ステンドグランスの窓や天井、モザイクなど多岐に渡る芸術領域でその才能をいかんなく発揮した人物として歴史に名を刻んでいます。
1902年にチャールズ・ルイス・ティファニーがこの世を去るとティファニー初のデザイン ディレクターとなり、自然界、そして異文化からのインスピレーションを得た芸術的なジュエリーはポールディング・ファーンハムとともにアメリカンジュエリーを確立しました。
カラーストーンと鉛枠ガラスを組み合わせた優美な作品群は19世紀末から20世紀初頭にかけて一世を風靡したアール・ヌーヴォー様式のアメリカにおける第一人者と言われています。
「セレブを魅了したジュエリー」 ジーン・シュランバーゼー
(出典:http://www.tiffany.co.jp/)
オートクチュールのデザイナー エルザ・スキャパレリのもとでアクセサリーを担当していたシュランバーゼーが第2次世界対戦後にアメリカに渡り、ティファニーに迎え入れられたのが1956年のことです。
シュランバーゼーのジュエリーは、花、果物、海洋生物、鳥といった自然界に存在する生命を立体的にジュエリーに落とし込み独特の色彩感覚あふれるデザインで時代の寵児となりました。
彼のデザインのもつ美しさは、ジョン・F・ケネディ大統領夫人のジャクリーヌ・ケネディや女優のエリザベス・テーラーなど世界を代表するセレブをも瞬く間に虜にし、世界の最先端をいくスタイルとなったのです。
現在でもシュランバーゼーのデザインはティファニーの歴史的な財産として大切に受け継がれ、ジュエリー‥コレクションとして制作されています。
「シンプルの中に生まれるアイコンデザイン」 エルサ・ペレッティ
(出典:http://www.tiffany.co.jp/)
ファッションモデルとして活躍していたエルサ・ペレッティがジュエリーデザインを始めたきっかけは、多くのアーティストとの交流からでした。
交流のあったファッションデザイナーのジョルジォ・ディ・サンタンジェロのコレクションでジュエリーデザインを手掛けることになり、そこで発表したジュエリーが人気となりティファニーの目に留まったのです。
1974年にペレッティと契約を結び、彼女の名を冠したコレクションが発表されます。
ペレッティのデザインはこれまでのティファニーの装飾的なデザインとは一線を画した彫刻的な比較的シンプルなデザインで滑らかな曲線が生み出す繊細なスタイルが世の女性の心を射止めました。
ビーン(豆)やリンゴといったありふれた形がペレッティという媒体を通すことで新鮮で魅力的なフォルムへと生まれ変わるのです。
日本ではとりわけ有名なオープンハートやダイヤモンドの名作「バイ・ザ・ヤード」なども彼女の作品です。
ティファニーにおいて伝説ともなったエルサ・ペレッティですが、2021年の3月にこの世を去りました。
多くのデザイナーに影響を与え、その官能的なデザインを多くの感動を与えてくれた彼女の死を惜しむ声は後を絶ちません。
今後もエルサ・ペレッティの残した偉大なコレクションはティファニーの主力コレクションとして末永く愛され続けていくでしょう。
「個性あふれる革新的なデザイナー」 パロマ・ピカソ
(出典:http://www.tiffany.co.jp/)
パブロ・ピカソの娘であるパロマ・ピカソは、生まれた時から芸術家たちに囲まれて育ちます。
そんな彼女がデザインの領域で天才的な才能を発揮したとしても何の不思議もありません。
10代の頃からジュエリーデザインを手掛けるようになった彼女は、イヴ・サンローランのジュエリーデザインを手掛けるようになり、この当時(1979年)のデザイン ディレクターだったジョン・ローリングがその才能に目をつけ、ティファニーのデザイナーとして招き入れました。
大胆な色使い、革新的なデザインは高い評価を得ることになりました。
現在でもパロマ・ピカソのコレクションはティファニーのコレクションとして高い人気を誇っており、ラビングハートやオリーブ・リーフといった大胆かつ繊細な人気作品が多数あります。
ティファニーには数々の名作ジュエリーがありますが、それらはこうした世界に名を馳せた天才たちによって生み出されたものなのです。
長い歴史の中でデザインの変革や革新を繰り返し、今のティファニーがあるということですね。
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