GIVENCHY ジバンシィ
ひとりの天才が作ったジバンシィの歴史
幼き頃からファッションの才能を発揮した天才
(出典:https://www.givenchy.com)
Givenchy(ジバンシィ)というブランドの歴史を語る上では、まずその創業者であるユーベル・ド・ジバンシィの生い立ちから語る必要があります。
彼がどのような環境で育ち、類まれなる感性をを身に着け、ファッションデザイナーへの道を歩みだしたのか?
まずは、そのスタートラインからその歴史を紐解いていきましょう。
ジバンシィが生まれたのは1927年、フランスのプロテスタント貴族の家庭に生まれ、父は公爵の称号を持ち、母方の祖父はゴブラン&ボーヴェ・テキスタイル・ワークショップの所長を務めた芸術家。
ジバンシィが2歳のときに父親が病気で亡くなったので、母親とその祖父母によって育てられました。
ジバンシィの感性に大きな影響を与えた人物としては、この祖父の存在が大きいとも言われていますが、母親も「シシー」の愛称で呼ばれたファッション好き、いとこや叔父、叔母も音楽や絵画の才能を発揮した芸術家一族だったので、血統からしてすでに芸術家となるべくして生まれたということだったのかもしれません。
幼い頃からすでにファッションに対する才覚を発揮していた事は有名で、母親のファッション誌に登場するモデルを参考にして、人形のための服を作ったのが8歳の頃でした。
10歳でパリ万博に訪れたときには、ジャンヌ・ランバンのプロデュースしたパビリオン・エレガンスに魅了され、ここに登場したシャネルやスキャパレリ、ヴィオネやランバンたちと肩を並べるようなデザイナーになりたいと決意したのです。
ただ、此の時代ファッションデザイナーというのは、まだまだそれほど良い職業とは思われておらず、貴族の身分に生まれたジバンシィは家族から反対をされましたが、最終的には説得をし、デザイナーへの道を歩みだしたのです。
大物デザイナーを渡り歩いた下積み時代
(出典:https://www.givenchy.com)
ファッションの道を志ざし、ジバンシィがまず最初に赴いたのが、スペインの巨匠クリストバル・バレンシアガ。
バレンシアガは、幼い頃からの憧れの存在で、オートクチュール界の中でも屈指の存在となっていました。
大胆な少年であったジバンシィは、まず自分のスケッチをバレンシアガに見てもらい、アシスタントとしてバレンシアガのメゾンで働こうと考えました。
しかし、この目論見はもろくも崩れさりました。
バレンシアガのディレクターであるルネ-にあっさりと門前払いされてしまったからです。
しかし、へこたれずに次に挑んだのが当時のパリで人気の高かったジャック・ファスのメゾン。
これに成功し、スケッチを持ち込んでその場で契約を勝ち取ったのです。
こうしてジバンシィのファッション業界への第一歩が始まりました。
ジバンシィはファスのメゾンには1年ほどしかいませんでしたが、後のジバンシィの若くはつらつとした作風はファスの影響を受けているという見方もあるほどなのです。
そして、ファスのもとを去り、さらに腕を磨くためにロベール・ピゲ、そしてリュシアン・ルロンのサロンを経て、イタリアンデザイナーのエルザ・スキャパレリのもとで4年間働きました。
スキャパレリもパリ万博の際に憧れを抱いていたデザイナーのひとりでこうした大物たちのもとで多くのことを学んでいったのです。
この後、自身のブランドを立ち上げるジバンシィにとって何よりも大きかったのが、こうした下積み時代に築き上げた人脈です。
スキャパレリの引退の後には、その上顧客がジバンシィを頼ったというほど、この時代に築いたものはその後のジバンシィの躍進に大きな意味を持ちました。
立ち上げからいきなりの大成功だが・・・
(出典:https://www.givenchy.com)
ジバンシィのメゾンが立ち上げられたのは1952年、この時まだジバンシィは24歳。
拠点としては、モンソー公園近くのアルフレッド・ド・ヴェニ-通りのゴシック様式の建物でした。
そして、ディレクターとしてマダム・エレーヌ・ブイヨー=ラフォンを起用し、ファーストコレクションに向けてパリのトップクラスのモデルとも契約を交わしました。
ジバンシィはスキャパレリの元で働いていた時代からすでにその才能をいかんなく発揮していました。
そして、迎えたファーストコレクションでは、より便利に、楽に、そして個性的なファッションを追求した上でたどり着いた「セパレート」にて大成功を収めました。
他にもモデルの名前にちなんでつけられたブラウス「ベッティーナ」。
ベッティーナはモデルだけでなく、アシスタントとしても働き、広報の仕事もこなしたジバンシィの右腕です。
まだ高価な素材を使うことができなかったため、コットンのシャツ地が使われていたのですが、そのデザインはとてもフェミニンで美しい装飾も施されていました。
この時のサロンの常連には、後にジョン・F・ケネディ大統領夫人となり、世界のファッションアイコンとなるジャクリーン・ブーヴィエもいました。
こうしてジバンシィは若くして成功を収めたのですが、あまりにもメディアが注目しすぎ、一躍スターダムに押し上げられてしまったがために熟練の職人が不足し、生産が全く追いつかないという事態に陥りました。
ハイファッションをより安く手に入れられるという高級既製服という概念から、伝統的なオートクチュールメゾンに立ち返ることを余儀なくされました。
デザインの成功からビジネスの成功へ
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高級既製服という考え方での新しい販売方式は不発に終わりましたが、ジバンシィの生み出すコレクションは常にファッションシーンの主役でした。
セパレートを基本としていましたが、それ以外でも革新的なアイテムを次々と生み出していきました。
ジバンシィがデビューしてから、彼のもとには多くの顧客が訪れました。
中でも1954年にスキャパレリが引退すると彼の顧客や友人たちがこぞってジバンシィのサロンを訪れてきたのです。
マリーネ・ディートリッヒ、パトリシア・ロペス・ウィルショー、グロリア・ギネス、ウインザー公爵夫人などはスキャパレリとの関係からジバンシィの顧客へとなっているのです。
また、1959年には小さなサロンをジョルジュサンク通りに移転することになります。
この頃にはジバンシィのデザインを有名メーカーが再現した商品が発表されましたが、生産体制が追いつかずに頓挫しますが、さらにそれから月日が流れた1968年「ジバンシィ・ヌーベル・ブティック」がオープンします。
これは現代のプレタポルテを先取りするコンセプトで、オートクチュールから高級既製服が主流となるというのを兼ねてから予想していたジバンシィの思惑が見事に世に受け入れられることになりました。
オートクチュールの精神を継承しつつも、価格を格段に抑えた新しいコレクションは大ヒットをしたのです。
この時点でジバンシィはとくにアメリカにおいて不動の人気を得ていました。
ジバンシィはフランス人であり、「アメリカ人であろうが、イタリア人であろうがあまり関係ない」と発言するなどドライな一面をみせていましたが、アメリカではジバンシィの提案するトータルなファッションというのが国民性に合っていたのです。
拡大を続けるジバンシィブランド
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ジバンシィというブランドはオートクチュールや高級既製服というだけではなく、それ以外の分野でも世界中に急拡大していきました。
とくに成果を挙げたのが、1957年に設立された「パルファム・ジバンシィ」でオードリーに捧げられたとされる「ランテルディ」によって一気に世界中に広まりました。
兄のジャン・クロードを経営者として小さくスタートを切ったパルファム・ジバンシィでしたが、香水やオードトワレ、美容品や化粧品など次々と商品を拡充し、業績を伸ばしていきました。
さらにはホテルなどのインテリアデコレーション、壁紙やテーブルウェアなどのファブリック、自動車デザインなどファッションデザイナーの域を超えて活動をしました。
そんなジバンシィにはデザイナーとして数々の賞が授与されましたが、中でも特筆すべきなのが1978年に贈られたゴールドシンプル賞、1979年のパーソナリティ・オブ・ザ・イヤー、1980年の男性ベストドレッサー、1983年のレジオンドヌール勲章などがあります。
デザイナーとしてだけではなく、経営者としても手腕を発揮したジバンシィによってまさにブランドは飛ぶ鳥を落とす勢いで成長を続けたのです。
さらなる高みへ「LVMH」グループの買収
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ファッション業界は巨大なブランドコングロマリットの傘下に多くのブランドが存在しているという状態になっています。
とくに2000年前後にその動きが活発化しましたが、ジバンシィは1987年の段階ですでにLVMH(ルイ・ヴィトン・モエ・ヘネシー)の傘下となりました。
これはジバンシィというブランドをさらに発展させるためにとても意味のあることで、ジバンシィ自身もこの買収によってオートクチュール、プレタポルテ、パルファムを大きく発展させることができるだろうと考えていました。
ここまでデザイナー兼経営者としてブランドを一手に支えてきたジバンシィもこのLVMHとの関係のおかげで創作活動に専念できる名誉会長兼芸術部門の責任者となることができたのです。
そして、1995年についにジバンシィはメゾンから公式に身を引くことになります。
最後のコレクションでは白いコートを着て別れを告げ、ジバンシィというデザイナーの伝説は幕を閉じたのです。
ジバンシィがメゾンを去った後は混沌
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ジバンシィの後任としてクリエイティブ・ディレクターに就任したのはジョン・ガリアーノ。
ただガリアーノは2回のコレクションを発表しただけで退任し、ディオールに移籍したため、後任にはロンドンニューウェーブの先駆者として「アンファンテリブル(悪魔の申し子)」と呼ばれたアレキサンダーマックイーンが就任しました。
このアレキサンダー・マックイーンの起用というのは、よい面も悪い面も両方がありましたが、結果的に見るとあまりいい方向にはいかなかったというのが結論です。
というのも、マックイーンのカッティングの技術は素晴らしく、そのおかげもあってジバンシィはかつての人気を取り戻したのですが、ただジバンシィらしさというものがなくなり完全にマックイーンカラーになってしまったのです。
また、マックイーン自身も人気があるのにジバンシィカラーがなくなったと批判されることをよく思っておらず、自社株の大半をグッチグループに売却したことでLVMHと険悪な仲になり結局5年ほどで退任に追い込まれます。
アレキサンダー・マックイーンの後任には2001-2002年の秋冬コレクションよりシャネルでカール・ラガーフェルドのアシスタントを務めたジュリアン・マクドナルドが就任。
そして、2003年よりメンズラインはオズワルド・ボーティングが担当します。
結局ジュリアン・マクドナルドもオズワルド・ボーティングも長くは続かず、ジバンシィがブランドを去って以降ブランドは混迷期を迎えてしまいます。
リカルド・ティッシによる華麗なる復活
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2005年よりリカルド・ティッシがレディースウェア、オートクチュール、アクセサリーのクリエイティブ・ディレクターに就任し、さらに2009年にはオズワルド・ボーティングの辞任以降空白となっていたメンズ部門も手がけるようになります。
リカルド・ティッシ就任からは、メディアからも高い評価を受けるようになりブランドを蘇らせたデザイナーとして賞賛されるようになります。
明らかにこれまでのガリア-ノやマックイーン、ジュリアンと比較しても高い評価となっており、2008年にマドンナのワールド・ツアーでティッシのコレクションが採用されたことやレッドカーペットでケイト・ブランシェットがジバンシィのドレスを身につけるなど過去の栄光を取り戻しつつある状況です。
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そして、2017年に12年間クリエイティブ・ディレクターを務めたリカルド・ティッシもメゾンを去る時がきました。
ラグジュアリーブランドではクリエイティブ・ディレクターの交代は日常茶飯事ですが、リカルド・ティッシのようにブランドに大きく貢献したデザイナーが去る場合は後任が誰になるのかというのは憶測なども多く飛び交い注目を集めます。
指名されたのはクレア・ワイト・ケラーでクロエのデザイナーを務めてきた人物。
昨今ではディオールでマリア・グラツィア・キウリがディオール初の女性クリエイティブ・ディレクターとして話題を集めましたが、ジバンシィでも初の女性クリエイティブ・ディレクターとして選ばれました。
クレア・ワイト・ケラーは、ユベール・ド・ジバンシィ時代の原点に回帰するというスタイルをとり、ジバンシィだけではなくジョン・ガリアーノやアレキサンダー・マックイーン、ジュリアン・マクドナルド、リカルド・ティッシに至るまで膨大なデザインを学習し、アーカイブを活かしながら新しいジバンシィを生み出しています。
2018年5月の英国ヘンリー王子とメーガン妃のウェディングドレスを特別に製作するなどオートクチュールコレクションに焦点を当てたクリエションは賞賛を集めていましたが、2020年秋冬コレクションを最後に退任が発表されました。
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2020年にジバンシィに走った衝撃のニュース。
なんとまだ30代の新進気鋭のデザイナー マシュー・ウィリアムズがクレア・ワイト・ケラーの後任としてクリエイティブ・ディレクターに任命されたのです。
マシュー・ウィリアムズは、1017 ALYX 9SM(アリクス)というブランドを立ち上げた人物であり、昨今の潮流であるラグジュアリーストリートの中心的人物のひとりでもあります。
ヴァージル・アブローやヘロン・プレストンと共にビーントリルという伝説になっているアート集団を結成した人物として知る人も多い現代の寵児です。
リカルド・テッィッシからの流れを引き継ぐジバンシィのクリエイティブ・ディレクターとしてはぴったりで、ファーストコレクションからしっかりとその才能を発揮しています。
この記事を監修しているのは?
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