BALMAIN バルマン
バルマンの歴史は「どん底からの復活」
ビッグメゾンBALMAINが誕生するまで
(出典:http://balmain.co.jp/)
BALMAIN(バルマン)の歴史を語る上では、まず最初に創業者であるピエール・バルマンを知らなければいけません。
ピエール・バルマンは、1950年代にはクリスチャン・ディオール、クリストバル・バレンシアガと並びオートクチュールブランドのビッグ3に数えられたほどの偉大なデザイナーです。
その生い立ちは1914年、フランスのサヴィワに生まれ、父は紳士服の卸売業を営み、母は婦人服のブティックを経営するファッション一家に生まれたため、幼い頃からファッションを身近に感じながら育つことになります。
一度は、パリ国立美術学校で建築の勉強を始めますが、やはり幼少より関係の深かったファッションの道へと進むことになりました。
イギリス人デザイナーのエドワード・モリヌーにデッサンを見せた時に、その才能を見出され1934年からモリヌーのメゾンで働き出します。
その後はロベール・ピゲ、そしてリュシアン・ルロンのもとで修行をしますが、この時どちらのメゾンでもクリスチャン・ディオールと共に働いていたという過去があります。
後にビッグ3と呼ばれる2人ですが、すでにこの時代から切磋琢磨をしあっていたのです。
第2次世界対戦で招集を受けたものの、休戦となったため母のブティックで働いていたところをルロンからパリに呼び戻され、1945年にはついにメゾン「PIERRE BALMAIN ピエール・バルマン」で独立を果たします。
クリスチャン・ディオールの独立もちょうど同時代だったというのが、この2人のライバル関係を想像してしまいますね。
バルマンが栄華を極めたビッグ3時代
(出典:http://balmain.co.jp/)
独立直後はまだ終戦直後だったので、素材の調達もままならず、資金面でもとても苦しい状態でした。
しかし、コレクションの発表は続けており、シンプルでクラシカルなデザインが人気となっていきました。
ちょうどディオールがニュールックとしてもてはやされていた頃には、バルマンもウエストを細く絞ったラインを発表し話題を集めました。
この頃から、バレンシアガ、ディオールと並びオートクチュールのビッグ3と呼ばれるようになったのです。
バレンシアガは年代的にはバルマンやディオールとは少し離れていて上の世代だったので、バレンシアガはどちらかというとココ・シャネルなどと近い印象もありますね。
バルマンのデザインは、とてもエレガントで世界のセレブ女性たちから人気を集めたので、映画や舞台衣装にも使われるようになっていきました。
さらにヴィヴィアン・リー、エヴァ・ガードナー、マレーネ・ディードリッヒ、ブリジッド・バルドーといった当時のトップ女優たちがこぞってバルマンのドレスを着ていたのです。
こうした人気のおかげで、演劇界の最高栄誉とも言われるトニー賞の衣装デザイン賞を受賞するほどになりました。
トニー賞というのは、映画で言えばアカデミー賞、音楽界で言えばグラミー賞のような位置づけなので、この賞がいかに栄誉のあるものなのかが分かりますね。
バルマンは、事業立ち上げの直後からファッションとの関係が深い香水事業を開始し、さらにウォッチやアクセサリー、バッグ、ネクタイ、レザー小物と次々に事業を拡大していき、さらにライセンス事業も展開していき、積極的にブランドの知名度を上げていきました。
1982年にピエール・バルマンが死去するまでは、順風満帆にブランドは拡大していったのです。
難航するブランドの行く末
(出典:http://balmain.co.jp/)
ピエール・バルマンの死後、数々の後任デザイナーによってピエール・バルマンは存続を続けましたが、はっきりいってその歴史はとても苦しいものでした。
もともと現在のラグジュアリーブランドのデザイナーというのは、とても厳しい環境でブランドイメージにそぐわなかったり、結果が出なければ1年でクビになることも珍しくありませんが、ここまでころころとクリエイティブ・ディレクターが変わるというのもなかなかありません。
ピエール・バルマンの死後は、アシスタントのエリック・モルテンセンが引き継いで1990年までデザインを担当します。
その後は、エルヴェ・ピエールがクリエイティブ・ディレクターを引き継ぎましたが、2年ほどで退任。
1993年からオスカー・デ・ラ・レンタが就任します。
この辺りはクラシカルでエレガントなコレクションが、ある程度の評価を得ていましたが、ブランドとしてはかなり低迷している状態だったといえます。
さらにジル・デュフールが担当した後に、2003年からローラン・メルシェがクリエイティブ・ディレクターに就任しますが、この時がバルマンのブランドとしての底でしょう。
9.11テロの影響もあったとはいえ、ブランドの売上が半分以下にまで落ち込み、デザイナー起用の失敗とまで言われ、すぐに退任。
さらにその後、クリスチャン・ルブールが就任しますが、2004年に破産法の申請によってショーを休止するという事態にまで追い込まれました。
絶望の淵から華麗なる復活、そして羽ばたく
(出典:http://balmain.co.jp/)
ショーの休止から、プレタポルテの再開は2006年にクリストフ・ドゥカルナンがクリエイティブ・ディレクターに就任してからです。
ドゥカルナンの起用は正解で、これまでのクラシカルなテイストから一転してモダンテイストを打ち出し、バルマンのイメージを一新させたのです。
バルマンのアイコンスタイルともなった力強い女性像を描いたバイカースタイルを打ち出し、一躍ファッション界の中心に踊りでたのです。
ドゥカルナンは2011年までクリエイティブ・ディレクターを務め、その間にバルマンを完全復活させました。
しかし、この復活すらまだ序章に過ぎなかったのです。
ドゥカルナンを引き継いだのは、若干25歳だったオリヴィエ・ルスタン。
ロベルト・カヴァリで経験を摘み、ドゥカルナンのアシスタントだったルスタンがドゥカルナンの美学を踏襲しつつ、より強烈な個性でバルマンを牽引していきます。
2012年には、ディフュージョンラインの「ピエール・バルマン(PIERRE BALMAIN)」を発表します。
これはオリヴィエ・ルスタンとは違うデザインチームが担当するセカンドラインですが、より若い世代に向けてもバルマンブランドを浸透させていきます。
2015年にはファストファッションのH&M(ヘネス・アンド・モーリッツ)とのコラボを発表し、さらに2016年にキッズコレクションも発表するなど、ラグジュアリーメゾンとしての権威を保ちつつ、ブランドがリーチする範囲を拡大しているのです。
2016年にはさらに大きな転機として、カタールの投資企業「Mayhoola」によって買収されました。
Mayhoolaは2012年にVALENTINO(ヴァレンティノ)も買収しており、実際にはヴァレンティノがバルマンを買収したような格好となっています。
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ラグジュアリーブランド・ハイファッション調査部門
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