Dior ディオール
ディオールの歴史①「全てはクリスチャン・ディオールから」
全てはクリスチャン・ディオールから始まった
(出典:http://www.dior.com/)
ディオールというブランドは、クリスチャン・ディオールというデザイナーが築き上げたものだということは皆さんご存知だと思います。
しかし、ディオールの創設1946年で、クリスチャン・ディオールが死去したのが1957年なのでわずか12年の間に強烈な印象を残しこの世を去っていったことになるのです。
ディオールというブランドはクリスチャン・ディオールの死後、若き日のイヴ・サンローランや天才ジョン・ガリアーノといった数々の有名デザイナーによって支えられて今に至っています。
そんなディオールの歴史についてクリスチャン・ディオールの生い立ちから創業時代、そして現在に向けてどんな変遷を辿ったのか迫ってみます。
ディオールというブランドが出来るまで
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クリスチャン・ディオールは1905年にイギリス・ノルマンディのグランビルの裕福な家庭に生まれました。兄と弟、2人に妹という5人兄弟の2番目の子供でした。
ディオールは、若い頃から控えめな性格で空想が大好きな少年でしたが、幼き頃からキラキラしたもの、細工の美しいもの、花模様のものなどに惹きつけられていましが、まだまだ自分が将来デザイナーになるなんて想像もしていなかったのです。
1920年代の成長期には一家はパリに引っ越し、当時流行っていたバッスル、コルセット、ペプラム・ジャケット、ダッチス・サテン、レース、リボンというのがディオールのファッションのイメージでしたが、モダニズムの台頭により、プリミティブアートやキュビズムの芸術、ル・コルビュジエの現代建築など芸術の街パリを歩く中で目に映る様々な芸術的光景がディオールの脳裏に焼き付いていきましたs
ディオールは父の言いつけを守り、パリ政治学院に進学しましたが、勉強よりも芸術活動に勤しむようになり現代美術を扱うギャラリーをオープンしています。
このオープンにあたっては、ディオール家の名前を出さないことを条件に父から出資を受けており、ディオールのアーティストとしての一面とビジネスマンとしての一面がこの頃から開花しつつあったのかもしれません。
しかし、ディオールの華々しいデザイナー人生とは裏腹に1930年代のディオールは大きな不幸と苦労を重ねています。
1930年の25歳の頃、弟と母を立て続けに亡くし、さらに大恐慌により父が破産、ディオールは裕福な暮らしから一転して無一文のホームレス状態にまでなってしまいました。
さらに結核をわずらい1年も療養に費やすことになります。
1938年にやっとパリに戻ってきたディオールはこの時に初めてファッションの世界に興味を向けることになります。スイス人クチュリエのロベール・ピゲにディオールのスケッチが認められ、第2次世界対戦が始まるまではピゲのオートクチュール・メゾンで働くことになりました。戦時中は1年の兵役につき、その後1942年にパリに戻り、ピエール・バルマンとともにリシュアン・ルロンのもとでアシスタント・デザイナーの職に就く事になります。
このときにともに働いていたピエール・バルマンは1945年には自身のメゾンを開き、輝かしいデビューを果たします。まだこの段階ではディオールは友人のバルマンの成功を喜びながらも自分自身はメゾンを開く自信がなくくすぶっている状態でした。
1946年にテキスタイル界の有力者マルセル・ブサックが新しいデザイナーを探しているという話を友人から聞いたのですが、なかなか行動に移さずにいたのですが、この友人に偶然にも3度も会ったことで信心深いディオールは神の導きと思いブサックと面接することにしたのです。
この面接でディオールは新しいファッションのトレンドや自分のメゾンについて熱く語るディオールを見たブサックは、全く無名のクリスチャン・ディオールというデザイナーのメゾン設立に600万フランを投資するという決断をしたのです。この時すでにディオールは41歳でこのブサックの投資はとても異例なことだったので、シンデレラストーリーともいえるこのニュースはまたたく間に世間に広まりました。
デビューする前からクリスチャン・ディオールというデザイナーは話題の人物となったのです。
そして、その後単なる話題の人物から世界中から羨望の眼差しを受けるほどその名前が知れ渡るまでそう時間はかかりませんでした。
クリスチャン・ディオール 鮮烈なデビュー
(出典:http://www.dior.com/)
クリスチャン・ディオールのデビューは1947年の2月です。
新しくオープンしたばかりのメゾン・クリスチャン・ディオールに人が詰めかけ、パリの街はちょっとした騒ぎになっていました。
オートクチュール界の重鎮レディ・ダイアナ・クーパーやハーバース・バザー誌の編集長カーメル・スノウなども続々と押しかけ、ハシゴを使って侵入しようとするものも現れるなどとにかく異様な光景でした。
そうした外の喧騒とは一転して中に入るとそこは金色の椅子やキラキラのシャンデリアなど19世紀の豪華な装飾が 施され、これまでのオートクチュール・コレクションにはない緊張感が漂い、そして観客たちはみな糸一本すら見逃すまいとして必死に身を乗り出し、コレクションに魅入ったのです。
世界の女性が待ち焦がれたコロールライン
(出典:http://www.dior.com/)
第2次世界対戦が終わり、世の女性達は贅沢に飢えている状態でした。
これまで抑圧されてきた贅沢への渇望がディオールのコレクションによって女性たちに与えられたことは天からの贈り物のようなものでした。
このコレクションは、床から35cmくらいのフルスカートで、ウエストはコルセットで細く細く締め付けられ、ヒップにはパッド、そして大きく丸く貼りだした胸元のラインは、パッドなしの肩のなだらかなラインと見事なコントラストをなし、この時代にパリで流行していた角ばったファッションを正面から否定し、女性らしいフェミニンなスタイルが復活した瞬間でした。
そしてコロールラインは、まさに贅沢の象徴、富の象徴としてたった一枚のドレスになんと41mものシルクが使われていたのです。
これまでのファッションの既成概念そのものを覆すかのようなスタイルは、非常に建築的なもので計算されつくされていました。
建築的と言われる所以は、ディオールのオートクチュールの服は最もシンプルなものでさえメイドに手伝ってもらわないと着れないほど構造が複雑でまさにドレスの中に骨組みが搭載されていたのです。
この建築的なファッションの意味するところというのは、スタイル以外にも着るために必要な生活水準をあわらしてもいました。
このディオールのこれまでとは全く新しいスタイルは「ニュールック」と言われ、世界中の女性を虜にするのですが、その魅力というのは構造的な硬いイメージではなく、その構造の上に作り上げられた丸く女性的な柔らかなシルエットなのです。見るものを惹きつける、そして着るものも惹きつける、そんな魔力がニュールックにはあったのです。
広がる花びらからインスピレーションを得たコロールは、生地がまるで滝が流れるかのようにふんだんに使用され、戦後に起こっていた物不足に真っ向から対抗するようなものでした。
コレクションは2時間程度でしたが、大成功を収め、サロンに入ってきたディオールは観客からスタンディング・オベーションで迎えらえるほどの熱狂ぶりでした。
ファッション界の重鎮でさえも、ファッションの革命と宣言してしまうほどとんでもないものだったのです。
人気を後押しするような批判的な意見
ニュールックのスカートは床にくっつきそうなほど長い丈で、シルクやウール、サテンといった高級素材をふんだんに使うスタイルです。
しかし、この時代というのは戦争終結後の物不足の時代、上流階級の女性たちが贅沢なニュールックを身にまとっている傍らではその日のミルクもあげられないような生活を送っている人も大勢いたのです。
そうした声を代表するかのようにフランスの新聞が怒りに満ちた否定的な報道をニュールックに浴びせたり、街角でモデルが主婦に襲われて服がビリビリに破られるなどの事件も起きました。
なんとこの時にはスカート丈の長さを監視する法制度まで検討されていたのほどなのです。
パリでの騒動も当然でしたが、アメリカでもディオールのニュールックは波紋を起こしていました。
アメリカでは女性の美しい脚線美を守るために膝下丈スカートを守るためのグループも発足し、ニュールックのロングスカートを履くことは愛国心への冒涜とまで言い始めたのです。
これまでの古いスタイルに固執し、頑なにスタイルを変えない女性も多くいましたが、数シーズンも経つ頃には「古いルック」を着ている女性というのは哀れみを込めて見られるようになってしまったのです。
ただこうした全く新しいスタイルの台頭による抵抗もハリウッドでニュールックが着られるようになったことで収束に向かい、ニュールックではなく、ルックへとなっていきました。
ロンドンでは王女のためのニュールックのプライベート発表会まで開かれるほどになっていったのです。
ファッション業界の常識を変えたディオールのコレクション
1947年に鮮烈なデビューを飾ったクリスチャン・ディオールは、わずか数ヶ月で時の人になりました。
そして、そのメゾンは活気あふれるパリの中心的な存在となったのですが、その理由は衝撃的なデビューの余韻が冷めやらぬ中、毎シーズンごとにそのコレクションが進化するというところにあったのです。
それまでのコレクションというのは、全体的なシルエットや肩、袖のラインなど数年間の調整の後に変更が加えられるということが一般的で、ディオールのように毎シーズンごとにそのスタイルが180度変わるようなコレクションは異例中の異例だったのです。
当然、これまでの常識を覆すような動きを見せれば叩かれることは必然で、ディオールのやっていることは単なる売名行為だという批判も多々ありました。
この批判というのはあながち的はずれなことではなく、実際にディオールが毎シーズンごとに発表する雑誌の表紙を飾れるような目玉コレクション「トラファルガー」のドラマチックな見た目は明らかにマスコミを意識したものであったことは間違いないでしょう。
また、コレクションごとに発表されるそのムードを一言で表す「フライト」「フリー」「チューリップ」のようなネーミングをしたのもディオールが最初でシーズンごとにその世界観を全く変えているということを強く印象づけることに役立っています。
こうしたトラファルガーやコレクションのネーミングとうのは、その後のファッション業界の常識として定着していくことになります。
シーズンごとのコレクション
1948年 アンボル ジグザグ
ディオールのコレクションはシーズンごとに全く新しいコンセプトが表現されることで、新鮮な驚きを与え続けてきたのですが、コロールラインによるデビューから1年後にはすでに新しいスタイルに変化しているのです。
このコレクションでは「飛翔」と「動き」のコンセプトのもと、ニュールックの基本スタイルであった長いスカート、細いウエスト、なだらかな肩のラインはそのままに、アシンメトリーな裾のラインや突き出したバッスル、襟足に向かって伸び上がりつつ大きく広がったトルクカラーつきの服には躍動や活気が満ちていました。
また、当時の流行にあわせて後ろ姿に注目を集めるように設計されており、くびれたウエストのラインに成形した布が花開くように取り付けられていました。
1949年 トロンプルイユ ミッドセンチュリー
この年のコレクションは、ラインによるシルエットの美しさとトロンプルイユの名前の通り表面上のデザインを意識した作りになっている。
とにかくタイトなスカートは、さすがに歩きにくいためかスリットが入れられ、そのスカートのタイトさに呼応するようにうウェストはボディスで締め付けられていました。しかし、そのタイトな下半身都のコントラストを楽しむかのように上半身の部分はボリュームたっぷりで大きめのポケットなどのアクセントなども多用されました。
年をおうごとに次々と進化するディオールのドレスには大量の注文が舞い込んでいきます。
1950年 オブリーク バーティカル
1950年にはさらにラインへのこだわりを追求したコレクションが発表され、不要な装飾は削ぎ落とされ、より女性の体のシルエットを強調するような女性が女性らしさを主張できるようなデザインが発表されました。
大胆にカットされたUネックはデコルテが大きく取られ、斜めになった留め具がどこか幾何学的な雰囲気を感じさせるものです。
ディオールのコレクションがそのままパリの流行となるため、こうした体のラインが強調される服を着るためには体型に気を配る必要があるというのが当時のパリジェンヌの悩みになったことは間違いないでしょう。
1951年 オーバル プリンセス
翌年にはさらにそのラインへのこだわりを顕著なものにします。
オーバルの代表的なスペンサースーツでは、ウエストキュッと絞りヒップをゆるやかにカーブさせた黒のドレスに淡いカラーのジャケットを合わせたスタイルはさらなる新しいスタイルを確立しました。
オーバルもそうですが、プリンセスでも丸みのあるヒップと絞られたウエストに短めのジャケットやボレロなどを合わせることで視線を高い位置に持ってくることにようなデザインを全シリーズに施しました。
1952年 シニュアス プロファイル
ディオールは、オートクチュールの大胆なデザイン以外にもビジネスセンスにもとても長けたデザイナーだったので、この年のコレクションではアメリカの大衆市場向けのカジュアルなラインを打ち出しました。
これまでのメイドがいないと着れないようなものから、より着やすくするためのアイデアを取り入れ、いろいろな用途に使えるカクテルドレスやカーディガンなどが発表されました。
とはいえ、やはりディオールのコレクションを着るためには体型がとても重要で服に合わせて体を作るような努力が必要なものであったことは確かです。
1953年 チューリップ キューポラ
この年はディオールのコレクションに大きな変化があった年でなんとスカート丈がひざ上にまで上がったのです。
別に大した事のないように思えますが、これまでロングスカートがあたり前だったディオールがいきなりスカート丈を短くしたことはとても大きなニュースになったほどです。
そして、コレクションは名前の通り、花柄を取り入れたオーガニックなコレクションでチューリップはそのものずばりのようなシルエットを作るウエストが細い茎になり、バストラインが花びらになるというものでした。
1954年 スズラン Hライン
前年の花のインスピレーションをそのままにそのシルエットを体現するようなドレスでしたが、大きな変化は建築的なニュールックが特徴であったディオールのコレクションからコルセットが取り除かれたことです。
骨組みを使わないように構成されたこのコレクションは、世の男性たちがダンス中に女性の体の感触が得られないという不満に対しての対応でした。
そしてこの年に発表された「Hライン」。
アルファベットコレクションのさきがけとして発表されたこのコレクションの評価はさんざんでした。
なにせ7年間も続いたディオールのニュールックがこのHラインによってすべて台無しにされたのですから。
ストレートかベル形にふくらんだスカートに平たいハイネックのボディス、このボディスの部分がHの横棒にあたります。
しかし、胸を目立たなくさせ、女性らしさを殺してしまうようなデザインはこれまでのニュールックとは正反対で批判の嵐が巻き起こったのです。
1955年 Aライン Yライン
そして、「Aライン」の登場です。
小さな頭に、小さな襟、そして肩幅も細く、スカートに向けて徐々に広がっていく、まさにアルファベットのAのように末広がりのシルエットは大成功を収めました。
Hラインの批判から一転してAラインは大衆まで含め、大いに広まっていきました。
が、そこからさらに「Yライン」を発表。
今度は下から上にかけてボリュームを増していくようなスタイルに一変したのです。
1956年 アロ- マグネット
毎年のように変わるディオールのコレクション。やはりAラインで成功をしてもすぐにYラインで覆し、翌年にはベルトを高い位置に上げる事でウエスト位置をあげ、カラコスという短い上着を合わせたアローラインを発表します。
さらにマグネットラインは、一見ふざけているかのようなコレクションでした。
1957年 リフレ ミドル スピンドル
10周年を迎えたクリスチャン・ディオールですが、この年に心臓発作でこの世をさります。
しかし、最後までコレクションを作り続けた天才デザイナーはこの年にもコレクションを発表しています。
この年には体を無理やり矯正するようなニュールックスタイルからゆったりと解放されたようなコレクションになり、これまでとは一転して体型を隠せるようなサックドレスを取り入れたスタイルを発表したのです。
わずか10年、されど10年
こうして10年にも渡り、パリだけでなく世界中に驚きと感動を与え続けたディオール。
ニュールックから始まり、最後にはそれすら自身で破壊してしまうという離れ業をやってのけました。
明らかに停滞していたオートクチュールに新しい風を吹き込み、様々な批判にも屈せず、リスクを取って新しいスタイルを提案し続けました。
わずか10年の間で恐ろしい速度で成長したディオールは、「ファッション界のゼネラル・モーターズ」とまで言われるようになり、完全に業界の帝王として君臨します。
が、本人は自身の死期が近いことを悟っていたのかもしれません。
亡くなるまでの数ヶ月の間に次の世代への引き継ぎを開始していたのです。
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