Maison Margiela メゾン・マルジェラ
謎多き「マルジェラ」はどうやって生まれた?
謎に満ちたデザイナー「マルタン・マルジェラ」
(出典:https://www.maisonmargiela.com)
マルタン・マルジェラという人物は非常に謎めいたデザイナーです。
ファッションデザイナーというのは大きく2つのタイプに大別できるかもしれません。
ひとつは自分自身が広告塔となるほど、自身のイメージを前面に押し出し、ブランド=デザイナー自身となるようなスタイルです。
もう一方では、あくまで主役はデザインされたモノであり、デザイナー自身は陰に隠れてその存在を隠すというスタイルです。
プラダのミウッチャ・プラダなどはファッションショーでもほとんど表舞台に姿を現さない人として有名ですが、マルジェラもその際たる例と言えるかもしれません。
デビュー当初は、ショーに登場することもありましたが、ある時期から一切表舞台に姿を現さなくなりました。
メゾン・マルタン・マルジェラが出来るまで
(出典:https://www.maisonmargiela.com)
マルタン・マルジェラは1959年にベルギーのリンブルグで生まれ、18歳でかの有名なアントワープ王立芸術アカデミーに入学し、ファッションを専攻しました。
この時期には「アントワープの6人」と呼ばれるダーク・ビッケンバーグ、アン・ドゥムルメステール、ドリス・ヴァン・ノッテン、ダーク・ヴァン・セーヌ、ウォルター・ヴァン・ベイレンドンク、マリナ・イーらと同世代ということもあり、この6人と並んで称される事もあります。
また、同じ時期パリコレで大きなセンセーショナルを巻き起こしていたコム・デ・ギャルソンの川久保玲があり、その影響を多分に受けています。
そしてジャン・ポール・ゴルチェのショーに感銘を受けて、1984年からはアシスタントとしてキャリアをスタートさせ、3年間をゴルチェのもとで過ごします。
この当時、マルジェラは大きなもみあげを生やしていたとされていますが、そうした写真などは一切残されていません。
その後独立し、1988年に自身のブランドである「メゾン・マルタン・マルジェラ」を立ち上げ、ヘルムート・ラングやアン・ドゥムルメステールらとともにパリに大きなムーブメントを巻き起こしたのです。
ディスコンストラクションによる異次元のスタイルの展開
(出典:https://www.maisonmargiela.com)
マルジェラのコレクションはこれまでのコレクションとは一線を画す特異なものであった。
そのスタイルとして象徴的なものとして、タグがないということです。
通常ブランド物の洋服というと、そのブランドであることを示すブランドのネームが入ったタグが付けられています。
ある意味ではブランドの価値とはそのタグにあるといっても言い過ぎではないくらいです。
しかし、マルジェラの洋服には無地の四角いタグが軽く留められているだけでそれを外してしまえば、だれもその服がマルジェラの服だと分からなくなってしまいます。
こうした洋服そのものの価値を問いかけるような常軌を逸した行動がマルジェラのアイデンティティともいえるのです。
そのデザインのスタイルとは縫い目が裏返しになっていたり、蜘蛛の巣のようにぶら下がったままであったり、タイツが電線して、さらに靴の上から履かれているといったもので、そうしたマルジェラのスタイルを評論家たちは「脱構築(ディスコンストラクション)」と呼ぶようになりました。
独自路線をいくブランドとして順調な成長
(出典:https://www.maisonmargiela.com)
大きな転機となったのは1997年。
マルタン・マルジェラはフランスのブランドで、いまや世界一のラグジュアリーブランドと言ってもいいエルメスのレディースコレクションのデザインを担当することになります。
この関係は2003年まで続きましたが、実際のところエルメスとのコラボレーションは表向きはうまくいっているように見えましたが、マルジェラの功績によってエルメスの保守的なスタイルを根底から覆したとは言い難く、控えめなラグジュアリーを提案するに留まったという見方もあります。
ただそれでも、エルメスのクリエイティブ・ディレクターを務めたという実績はとても大きく、その後もメゾン・マルジェラはまだまだ成長していくことになるのです。
ただ、この頃からマルタン・マルジェラは表舞台には一切姿を現さなくなるのです。
また、1998年にはマルジェラ自身にも影響を与えたコム・デ・ギャルソンとのコラボレーションを行い、2000年には日本へも進出を開始、日本への進出も割と早い方だったので日本での知名度もかなり高くなっています。
2002年にベルギーのブリュッセルとフランスのパリへの開業なので日本の方が故郷のベルギーよりも店舗展開が早かったというは意外です。
さらに2002年にはレンツォ・ロッソのオンリー・ザ・ブレイブ(DIESEL)グループの傘下に入り、店舗開発や製造ラインの効率化などの支援を受け、グローバル展開を一気に加速させました。
なんとグループ入りからの6年で店舗数は5倍にまで急成長したのです。
マルタン・マルジェラが去り・・・その後
マルタン・マルジェラがメゾンを去った後もメゾン・マルジェラは存続し続けています。
そもそもいつマルジェラがブランドを去ったのかも明確にはわかっていません。
ひとつだけはっきりしていることは2009年以降はマルジェラ本人ではなく、デザインチームがメゾン・マルジェラのデザインを引き継いでいたということです。
これはメゾン・マルジェラに出資したレンツォ・ロッソが2009年に公表したものですので確かでしょう。
このマルジェラが去った後のメゾンは大きく変わりました。
例えばフレグランスを発売したり、H&Mのようなファストファッションとのコラボレーションをおこなってみたり、オンラインショップを立ち上げたりとこれまでにはやらなかったような取り組みを行っています。
これをブランドの近代化として捉えることも出来ますが、やはり創業者が去った後ブランドの方向性が変わった、質が落ちたという見方もあるのです。
そうした中で2014年に新しい血がメゾン・マルタン・マルジェラに注ぎ込まれました。
過去ジバンシィやクリスチャン・ディオールなどで活躍し、自身の名前を関したブランド「ジョン・ガリアーノ」も手掛けてきたジョン・ガリアーノが新しいクリエイティブ・ディレクターに就任したのです。
一時期はひと騒動を起こして業界を干され気味だったジョン・ガリアーノですが、その実力は確かなものでメゾン・マルタン・マルジェラに新しい風を吹き込んだのです。
このタイミングでブランド名も「Maison Margiela メゾン マルジェラ」に改名し、新たなスタートを切ったのです。
この記事を監修しているのは?
ラグジュアリーブランド・ハイファッション調査部門
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