VALENTINO ヴァレンティノ
イタリアクチュールの歴史を変えたヴァレンティノ
ビッグメゾンVALENTINO(ヴァレンティノ)が誕生するまで
(出典:http://www.valentinogaravanimuseum.com/)
ヴァレンティノ・クレメンテ・ルドヴィーコ・ガラヴァーニが生まれたのは1932年、イタリアのヴォゲーラにて。
名前の由来は、母親がサイレント映画のスーパースターにちなんでつけたそうです。
若かりし頃のヴァレンティノは、まずアートの分野に興味を示し始めました。
絵画や彫刻、建築に夢中になり、絵を描く才能にも恵まれていたので、高校卒業後にはミラノのサンタ・マルタ・インスティチュートでスケッチの勉強をはじめます。
1950年には、シャンブル・サンディカール(パリのクチュール組合)が経営する学校で学ぶためパリに移り、フランスの劇場に心を奪われます。
ファッションにも幼い頃から興味を示していた彼は、国際羊毛事務局のファッション・デザイン・コンテストで優勝します。このコンテストはのちにイヴ・サンローランやカール・ラガーフェルドも優勝したファッションデザイナーの登竜門的存在です。
これがきっかけとなり、ジャン・ドゥッセのクチュールハウスで働くことになったのです。
この時代にバルセロナのオペラを観にいき、舞台衣装が赤で統一されている事に気づいた彼は、それまでの黒と白がもっとも美しいという考えから、赤がもっとも好きな色へと変わっていきました。
後に言われる「ヴァレンティノの赤」はこうして芽吹いていったのです。
ドゥッセのアシスタントとして5年間働き、そして1957年にドゥッセのチーフデザイナーだったギ・ラロッシュが独立するのについていき、彼のアトリエでしばらくデザインとビジネスに関わります。
1959年にはついに独立を果たし、ローマのコンドッティー通りにオートクチュールの小さなアトリエを開き、11月には初のコレクションを開き120点の作品を発表しました。
そして、1960年に父親の援助をうけ、自身の名前を冠したブランドを立ち上げます。
こうして今も世界をリードするブランド「VALENTINO ヴァレンティノ」が誕生したのです。
イタリアンファッションを世界に広めるデザイナー
(出典:http://www.valentinogaravanimuseum.com/)
ヴァレンティノの創業、そして成長にはあるひとりの人物が欠かせません。
それは、ジャンカルロ・ジャンメッティ。
もともと建築家志望だったジャンメッティですが、ヴァレンティノのビジネスパートナーとしてブランドのビジネス部門を一手に引き受け、ヴァレンティノをデザイナーとしての仕事に集中させました。
ジャンメッティはファッション業界でも腕利きの実業家として名を馳せ、それはイヴ・サンローランとピエール・ベルジェやジョルジオ・アルマーニとセルジオ・ガレオッティのような関係といえます。
そして、1962年にブランドを立ち上げた後のファーストコレクションをフィレンツェのピッティ宮殿で開きました。
ここにはイタリアの有望若手デザイナーの噂を聞きつけた外国人バイヤーが待っており、その場でニューヨークのOバック社との契約を結びます。
この当時はファッションの最前線というとフランス・パリだったのですが、すでに高価になりすぎていたきらいのあったフランスファッションよりも新しい時代を求めてイタリアへと方向転換が図られたのです。
このオーバック社とのビジネスは大成功し、「偉大なクチュール・デザイナー」としてアメリカでの知名度を飛躍的に高めることになったのです。
国際的デザイナーとして世界セレブに愛される
(出典:http://www.valentinogaravanimuseum.com/)
ヴァレンティノはイタリアだけでなく、世界中でコレクションを発表していきます。
ヴァレンティノを世界的に有名にしたのは、彼がデザインする服が素晴らしいというのは言うまでもありませんが、それに加えて彼の服を愛したセレブの存在もあるのです。
その代表格としてはファッショニスタとしてラグジュアリーブランドの歴史にたびたび登場するジャクリーヌ・ケネディ夫人です。
彼女は夫であったジョン・F・ケネディ大統領の喪明けにもヴァレンティノを着ており、再婚時の結婚式でもヴァレンティノデザインのドレスを着ました。
世界中からファッションのお手本のような存在であったジャクリーヌ・ケネディが着る服は世界中から注目され、それとともにヴァレンティノというデザイナーも必然的にスポットライトを浴びたのです。
そして、ジャクリーンが再婚する少し前の1967年にはファッション界のオスカー賞と呼ばれる「ニーマン・マーカス賞」も受賞しています。
さらに1968年のジャックリーンの再婚と同じ年には、熱狂的な支持をえた『V』マークをホワイトコレクションの中で発表しています。
ヴァレンティノのブランドとしてのオープンは、1960年ですが10年にも満たない内にこれほどの偉業を達成してしまったのです。
絶頂期を迎えたヴァレンティノに敵はなし
(出典:http://www.valentinogaravanimuseum.com/)
1970年代を迎えたヴァレンティノは、まさに絶頂期ともいえる時代でした。
当時のライバルイヴ・サンローランと並び、エレガンスとモダニウムを表現するデザイナーとして評価されており、まさにオートクチュールのトップに君臨しているような状態です。
1970年には初のプレタポルテコレクションを発表し、ローマとニューヨークにもブティックをオープン。
さらにアクセサリーコレクションも開始しています。
1975年には他に先駆けてプレタポルテに進出したデザイナーとしてパリでもショーを行い、イタリアデザイナーとしては稀有なフランスでも認められるデザイナーとなります。
フランスは外国人にとても厳しいので、パリでイタリア人デザイナーが受けれられ、さらにスタンディングオベーションまで受けるというのは奇跡に近い出来事だったのです。
そして、1976年には東京にもブティックをオープンし、日本にも進出しています。
さらに1980年代には数々の栄誉を受賞します。
1984年にはローマのクチュールハウス25周年記念でレナード・アルティッシュ商工省大臣からファッションへの貢献をたたえ、特別賞が授与されました。
さらに同年にはロサンゼルスオリンピックのイタリア選手団のユニフォームデザインも任されます。
翌年には、サンドロ・ベルティーニ大統領よりイタリア共和国「勲功騎士勲章」(グランデ・ウフィチャーレ)が授与され、1986年にはフランチェスコ・コッシーガ大統領よりイタリア国家最高の勲章である「騎士大十字勲章」(カヴァリエーレ・ディ・グラン・クローチェ)を授与されるのです。
1990年代に入るとコンピュータの進化によって世の中が飛躍的に進歩を遂げる一方で、第3次世界大戦とも呼ばれた湾岸戦争が勃発します。
こうした激動の中においてもヴァレンティノはコレクションを発表し続け、ローマで30周年を記念した展覧会を開いています。
この展覧会はニュヨークでも開かれ、成功を収めています。
1996年には「労働騎士勲章」(カヴァリエーレ・デル・ラポーロ)も贈られ、まさに順風満帆という言葉がぴったりでした。
ラグジュアリーブランドの経営は一筋縄ではいかないもの
(出典:http://www.valentino.com/)
しかし、1998年に自体は一変します。
なんとヴァレンティノのオートクチュール、プレタポルテ、アクセサリー、フレグランスなどのすべての事業をHdP(ホールディング・ディ・パルテシパジオーニ・インダストリアリ)に売却したのです。
これはとてもセンセーショナルなニュースとなりました。
しかし、この買収でヴァレンティノが何か変わったかというといい方向にしか向かなかったというのが正解です。
ラグジュアリーブランドというのは、基本的に創業したデザイナーによる家族経営的な側面があるので、こうした家族経営から国際的なビジネスに脱皮するためにはこうした買収によって規模を拡大していく必要があるのです。
これは、様々なブランドが大手のブランドコングロマリットに属していることからもわかります。
そして、ヴァレンティノも同じようにHdPというグループの傘下に入ったということだったのです。
ただヴァレンティノ自体はデザイナーとして残り、引き続きジャンメッティがマネジメントを行っていたので、これまでのブランドイメージはほとんど変わることなく規模の拡大が可能となったのです。
買収劇はこれだけでは終わりません。
さらに2002年にマッテオ・マルゾットがHdPよりヴァレンティノを買収します。
が、マッテオ・マルゾットはファッション業界では有名な人物、これはあくまで戦略的投資の側面があり、2006年に約5倍の金額でイギリスの投資ファンドのペルミラ(Permira)に売却したのです。
ペルミラの買収のあとヴァレンティノの業績は落ち込みます。
これはペルミラにとって大きな誤算となったと思いますが、ヴァレンティノ・ガラヴァーニがデザイナーを引退したのです。
後任としてグッチやモンクレーでクリエイティブ・ディレクターを務めた経験のあるアレッサンドラ・ファッキネッティを指名しますが、1年で退任という事態に陥ります。
その後任は内部昇格という形でヴァレンティノで長年デザイナーをしてきたマリア・グラツィア・ キウリとピエール・パオロ・ピッチョーリが就任することになりました。
ペルミラがヴァレンティノの復活に手を焼いているところに現れたのが、カタール王族の運営するファンド マイフーラ(Mayhoola)。
このマイフーラによって2016年にはBALMAIN(バルマン)も買収しているので、ヴァレンティノグループにバルマンが加わることになったのです。
マリア・グラツィア・ キウリは2016年にクリエイティブ・ディレクターを退任しているので、その後はピエール・パオロ・ピッチョーリが単独でクリエイティブ・デザイナーを務めています。
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ラグジュアリーブランド・ハイファッション調査部門
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