Patou パトゥ
新たなスタートを切ったPatou(パトゥ)の歴史
従軍中のインスピレーションからメゾンを始動
Patou(パトゥ)は、創業時はジャン・パトゥという創業者の名前そのものがブランド名であり、フランスのパリでスタートしました。
1887年にピカルディで高級レザーグッズ向けのなめし革業を営んでいた職人一家のもとで生まれたジャン=アレクサンドル・パトゥ。
軍に入隊しましたが、その時にファッションに目覚めた彼は毛皮について学び、1910年の23歳のときに最初のブティック「パリ」を立ち上げ、その後紳士服部門がアメリカのバイヤーから爆発的人気となり1914年に本格的にメゾンを立ち上げたのです。
実際にジャン・パトゥという名前のショップをオープンしたのは1920年ですが、ブランドのスタートとしてはメゾンを立ち上げた1914年ということになっています。
立ち上げ直後に第一次世界大戦が勃発したので、ブランドは一時中断することになりましたが、逆にその従軍中に東方地方やバルカン半島の美しさに触れたことによって、そこからのインスピレーションでクリエイションを行い、メゾンを再開させたのです。
ジャン・パトゥ「ヨーロッパで最もエレガントな男性」
ジャン・パトゥという人物は、アメリカメディアから「ヨーロッパで最もエレガントな男性」と称されるほどその行動は常に注目を集める存在でした。
非の打ちどころのないほどセンスに溢れ、その指先には常に煙草があり、自ら夜のランウェイショーを企画して朝まで繰り広げるほど周囲を楽しませていました。
スピードのスリルに取りつかれたスピード狂でもあり、レーシングカーに乗り、ギャンブルに教示、海ではスピードボートに走らせるというファンキーな人物だったのです。
だからこそ、既成概念を根底から覆すように古い慣習を打ち破り女性の新しい衣服の楽しみ方を提案することも出来たのでしょう。
ただ、自由であるがあまり、アメリカ女優ルイーズ・ブルックスやヨーロッパの貴族女性と浮名を流しましたが、結局誰とも結婚することはありませんでした。
女性のシルエットを自由に「古い概念からの解放」
女性のシルエットを自由にというと、コルセットからの解放を打ちだしたと言われるシャネルや実際のところは先駆者ポール・ポワレなどを思い浮かべますが、ジャン・パトゥはコルセットだけではなくもっと先を見て女性のシルエットやファッションに革命を起こしたと言えます。
コルセットなしで着用するドレスや衿や袖のないショートドレス、ウエストをゆるくしたチューブラーなどウエスト周りに対する革新もありますが、それ以上に女性のためのスポーツウェアという方がよりファッションを楽にする、楽しくするという考え方の改革に貢献したのではないかと思います。
当時のNo1テニスプレーヤーのスザンヌ・ランランを最初のミューズにすることでその効果は絶大なものがありました。
街中での着用を考えた丈の短いプリーツスカート(テニスのスコート)、幾何学模様のセットアップジャージ―、ニットの水着、リゾートウェアなど、とにかく着心地にこだわったウェアというのは最大のライバルだったココ・シャネルやジャンヌ・ランバンに比べても先を行っていたのではないでしょうか。
まさにこの時期がジャン・パトゥにとって最高の時代で、当時のセレブリティがこぞってジャン・パトゥのドレスを買い求め1919年から1924年という数年の間にメゾンの収益が30倍にまで爆増したのです。
暗黒時代に築いた伝説「香水Joy」
わずかな期間に凄まじい勢いで成功を収めたジャン・パトゥでしたが、その成功の最中である1929年に世界大恐慌が勃発しました。
経済が不況になるのは、ラグジュアリーブランドからすると買い手がいなくなってしまう大惨事です。
世界が混沌とする中、ジャン・パトゥも大きな打撃を受けるのです。
ちょうど大恐慌に被る時期にニューヨークにブティックをオープンしていたのですが、そこで起死回生なのか、ギャグなのか分かりませんがブランドを救うために世界で最も高い香水「Joy(喜び)と発売しました。
なんと30mlで1000ユーロ(現在で約15万円)というとんでもない価格で「数滴の喜び」を贈ったのです。
笑い話のような話ですが、「香水の女王」とも言われるほど代表的な香水になり、そのあまりにも法外な価格設定によってジャン・パトゥは新たな伝説を作ったのです。
ジャン・パトゥ突然の死、そして凋落が始まる
スピードに魅せられたジャン・パトゥの死は突然に訪れました。
1936年に49歳の若さで脳卒中によって死を迎え、伝説は幕を閉じることになります。
ジャン・パトゥの死後は家族経営をしていたため、姉のマドレーヌ・パトゥとその夫が経営を引き継ぎましたが、圧倒的なパワーを持つ創業者がブランドを去るとそのエネルギーを維持するのはとても難しいのです。
1954年にはマルク・ボアンがアーティスティック・ディレクターに任命され、その後もカール・ラガーフェルドやミシェル・ゴマ、ジャン=ポール・ゴルチェ、アンジェラ・タルラッチ、クリスチャン・ラクロワなどが次々とメゾンのクリエイションを担いました。
名前を見るだけでもよだれが出そうなほどのビッグネーム揃いで、普通に考えれば絶対にうまくいくように思えます。
確かに一定の評価を得ることはありましたが、どちらかというとジャン・パトゥを踏み台にしてその後のキャリアで成功したイメージが強いです。
1980年代に最後のデザイナーとなったクリスチャン・ラクロワは、1986年にフランスのオートクチュールでの権威あるデ・ドール賞を受賞するという快挙を成し遂げましたが、その翌年にはジャン・パトゥというブランドは休止してしまったのです。
華麗に復活を果たしたPatou(パトゥ)
実は伝説の香水Joy(ジョイ)は大成功を収めていたので、ブランドが休止した後もフレグランスだけは残っていました。
P&Gが販売を行っており、その後イギリスのデザイナーパルファムに引き継がれていたのですが、2018年にルイ・ヴィトンの親会社であるLVMH(ルイ・ヴィトン・モエ・ヘネシー)がデザイナーパルファムから衣類部門を引き継いだことで復活を果たすことになったのです。
LVMHは数々のラグジュアリーブランドを抱えていることでも有名な世界最大のブランド・コングロマリットですが、その戦略は巧みなマーケティングと有名デザイナーの投入です。
買収後に早速CARVEN(カルヴェン)やNINA RICCI(ニナリッチ)などで活躍していたギョーム・アンリをアーティスティック・ディレクターとして任命し、さらにブランド名をPatou(パトゥ)と変えることでウィメンズのプレタポルテをリ・スタートさせたのです。
新生Patou(パトゥ)はLVMHという強力な後ろ盾を得て、カルヴェンを人気コンテンポラリーブランドへと押し上げたギョーム・アンリの手腕によって、その輝きを取り戻しつつあります。
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ラグジュアリーブランド・ハイファッション調査部門
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