Manolo Blahnik マノロ・ブラニク
靴のロールスロイス「マノロ・ブラニク」の歴史
紆余曲折を経てシューズデザイナーへ
(出典:https://www.facebook.com/ManoloBlahnikOfficial/)
マノロ・ブラニクは1943年生まれ、バナナ農園を経営するチェコスロバキア人の父とスペイン人の母のもとに生まれ、カナリア諸島のサンタ・クルス・デ・ラ・パルマで育ちました。
母は現在では20世紀最高の靴職人と言われるヤントルーニの靴を好んで履いており、ヤントルーニの洗練された靴の美しさはまだデザイナーを志ざしてすらいなかった少年の脳裏にしっかりと焼き付いていました。
マノロ・ブラニクの少年時代はカナリア諸島での生活であったため、そこにはテレビすらない生活でした。
なので遊びは常に自分で考え出すもの、現在ではビジネスパートナーにもなっている妹のエヴァンジェリンを柱に縛り付けてその周りを火で燃やすといった過激なものまであった。
しかし、こうした遊びの中には何時間もかけて捕まえたとかげのために小さなドレスを作るといったような現在の仕事に通じるようなこともありました。
しかし、カナリア諸島での生活に息子の将来を心配した両親はブラニクを海外に送り出し、ジュネーブ大学に入学させました。
大学では法律や文学を学ぶことになったブラニクでしたが、自分には余り向いていないということに気づきました。
そして休暇中に訪れたフランスで「60年代のパリ」に一目惚れしたブラニクはパリに渡り、ブティックで働き始めます。
まだまだ好奇心旺盛だったブラニクはどこかに飛び出すためにロンドンに移り、そこでショップオーナーだったジョーン・バ-スタインのもとで広報とバイヤーの仕事を行い徐々にファッション業界へと足を踏み入れていったのです。
ただこの当時彼が本当にやりたかったのは映画の仕事でした。
なので舞台装置のスケッチを大量に持ってニューヨークに渡ったまでは良かったのですが、、映画業界の人間関係が自分には全く合わないことを知り、諦めました。
ここまで見ると単に我慢の効かない中途半端な青年のように思いますが、この先に天職との出会いが待っていたのです。
それがファッション業界のカリスマとなっていたダイアナ・ヴリーランドとの出会い。
ダイアナに自身のスケッチを見せたことで、彼女の専属シューズデザイナーとなることが決まり、これがブラニクの人生の転機となりました。
ダイアナ・ヴリーランドから自信をもらったブラニクは、翌年にはロンドンの工場を訪問し、技術者たちから靴作りの芸術を学びまし
。
そしてイギリスで一番有名だったシューズデザイナーのオジー・クラークのコレクションにブラニクの靴が採用され、センセーショナルなデビューを飾ったのです。
さらにファッションチェーン店の「ダミス」から靴の制作を依頼され、1972年にはついにコレクションでデビューを果たし、ブランド「マノロ・ブラニク」が立ち上がったのです。
翌年の73年にはチェルシーにフラッグシップ店をオープンし、順風満帆な船出となりました。
華麗なる受賞歴を誇るキャリア
(出典:https://www.facebook.com/ManoloBlahnikOfficial/)
デビューしてからというものマノロ・ブラニクは順調にキャリアを重ねてきました。
その中で彼は数々のデザイン賞を受賞してきています。
1987年、1990年、1998年には「ファッション界のオスカー」とも呼ばれ、ファッション業界に多大な貢献をしたデザイナーに贈られるCFDAファッションアワードを受賞しました。
さらに1990年、1999年、2003年には英国ファッション協会の主催するファッションアワードも受賞しました。
2001年にはスペインの年間最優秀デザイナーに贈られるアグジャ・デ・オーロ賞も受賞しています。
2005年には映画「マリーアントワネット」の靴デザインでアカデミー賞最優秀衣装賞も受賞。
2007年には当時最も影響力のあるデザイナーとして大英帝国勲章のCBE(コマンダー)を受賞、翌年の2008年にはファッションとエンターテイメント業界に貢献したクリエイターに贈られるロデオドライブウォークオブスタイル賞も受賞しました。
2011年にはアメリカのFootwear News Lifetime Achievement Award、2012年にはイギリスのファッション評議会の優秀功績賞、そしてスペインの全国ファッションデザイン賞が授与されたのです。
まさに飛ぶ鳥を落とす勢いでファッション業界にその名を刻み込んでいきました。
大きな飛躍はドラマでの主役扱い
マノロ・ブラニクはデビューから大きな挫折もなく順調に成長を続けてきましたが、そんなマノロ・ブラニクのブランドを全世界に知らしめるきっかけとなったのはあるひとつのドラマでした。
これまでもダイアナ妃やマドンナといった超一流のセレブリティが愛用していることで知られていましたが、幅広くその名が知られるようになったのは間違いなくここからです。
1998年から放送が開始されたアメリカのテレビドラマ「セックス・アンド・ザ・シティ」
日本でも一大ブームを巻き起こしたお騒がせセレブのキャリー、シャーロット、ミランダ、サマンサの4人組が巻き起こすコメディタッチのドラマです。
なぜこのドラマによってマノロ・ブラニクが有名になったのでしょうか?
主人公であるキャリーはファッションと靴おたく。
その中でも一番のお気に入りはマノロ・ブラニクの靴だったのです。
ドラマの中で事あるごとにマノロ・ブラニクという固有名詞が登場し、これまでマノロ・ブラニクを知らなかった層にまでマノロ・ブラニクの名前を浸透させることに成功しました。
映画やドラマなどで使用されることでブランドの知名度があがるというのはよくある話ですが、ここまであからさまにブランド名を全面に押し出すというのはなかなかありません。
それくらいマノロ・ブラニクという靴が素晴らしいというイメージを植え付けたのです。
ドキュメンタリー映画でマノロ・ブラニクをもっと知ろう
映画やドラマで靴が使われるということから、さらにそれを超える事態が発生しました。
2017年には「マノロ・ブラニク トカゲに靴を作った少年」というマノロの半生をフル変えるようなドキュメンタリー映画も公開されたのです。
トカゲ?と思われるかもしれませんが、これは小さい頃に目が覚めるような青色のトカゲにチョコレートの包み紙で靴を作ったことが初めての靴づくり体験だったというエピソードに由来します。
おもしろいのは、マノロ・ブラニクと関わりのあった人物である娘パブロ・ピカソやアナ・ウインター(アメリカVOGUE元編集長)、写真家デビット・ベイリーなどのコメントによって人物像を伝えているところ。
さらにはジョン・ガリアーノとの談笑するシーンなども登場するファッションを愛する人にはたまらない映像によってマノロ・ブラニクという素晴らしいシューデザイナーを知ることが出来るようになっています。
そして現在ではイギリスだけでなく、ニューヨークや香港といった世界の大都市にも直営店を展開しており、イタリアに4つの工場を持ち、世界のトップシューズブランドとしての確固たる地位を確立しているのです。
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