ALEXANDER McQUEEN アレキサンダー・マックイーン
異端児と呼ばれた悪ガキ「アレキサンダー・マックイーン」
「天才」or「異端」アレキサンダー・マックイーンという人物像
アレキサンダー・マックイーンというと彗星のごとく現れ『天才』の名を欲しいままにしたデザイナーとしてファッション業界に語り続けられる存在。
「マックイーン:モード界の反逆児」と題されたアレキサンダー・マックイーンの生涯を綴った映画まで公開されました。
2010年に40歳という若さでこの世を去り、王室メンバーや世界的な指導者のみしか許されていなかったセントポール大聖堂で追悼式が行われ、ニューヨークのメトロポリタン美術館で行われた回顧展には50万人もの人々が訪れたという伝説的な人物です。
しかし、一方では「英国ファッション界のバッドボーイ」、「イギリスファッションのフーリガン」、「ファッション界の異端児」、「恐るべき子供」といった様々な表現でその異端っぷりを表現されることもあります。
実際、普通ではないことが普通のファッション業界において、驚きやショッキングな出来事には慣れっこのはずのファッション業界関係者たちに常に驚愕を与え続けてきたマックイーンというのは本物の異端児であったことは間違いないでしょう。
マックイーンがサヴィルロウで下積みをしていた時に、チャールズ皇太子に献上するジャケットのライナーに「I am a cunt(私はヤリチンです)」と書いたことはあまりにも有名な逸話です。
実際のアレクサンダー・マックーンとはどんな人物だったのか?
そしてどんなデザイナーだったのでしょうか?
成功に向かう行動力は誰にも真似できない
アレキサンダー・マックイーン(本名:リー・アレキサンダー・マックイーン)は、1969年に6人兄弟の末っ子としてイーストロンドンに生まれました。
父親はタクシー運転手で、母親はマックイーンが16歳の頃から社会史を教える系図学者でした。
階級社会が根深いイギリスにおいて、典型的な労働者階級で育っています。
ロークビーにあるコンプリヘンシブスクール(11歳~16歳までの中等学校)に通い、学校にいる間はずっと絵をかいていました。もともと3歳の頃から絵を描き始め、12歳の頃からファッション関連の本を読み、他のデザイナーがどのようなキャリアを辿ってきたのかを理解し、自身もデザイナーになると心に決めていたのです。
16歳で卒業した後は、セントラル・セント・マーチンズには行かず、地元のパブで小遣い稼ぎをしていましたが、長くは続かず、たまたまテレビでサヴィルロウが後継者不足というのを見て、すぐに行動を起こしたのです。
学校をでたばかりで服飾関連の資格など何一つ持っていない状況だったので洋服の作り方を1から学ぶという目的をもってサヴィルロウにいき、最初にアンダーソン&シェパードの門をたたき、2年の修業の後、ギーブス&ホークスへと移りました。
アンダーソンではズボンの作り方、そしてギーブスではジャケットの作り方を学び、イギリスの伝統的な仕立ての技術を習得したのです。
この下地によってどんな奇抜な服をデザインしても、そのベースとなっているのはビスポークメンズウェアの精巧さという他では類を見ないような洋服づくりが出来るようになったのです。
サヴィルロウを経て、ロンドンの著名な舞台衣装を扱うバーマンズ&ネイサンズに転職し、16世紀様式からシャープ・テーラリングまで6種類のパターンカッティングを学び、カッティングでシャープさを表現するというのは後々にアレキサンダー・マックイーンの代名詞ともなっていきます。
その後も短期間ではありますが、アバンギャルドを英国テーラードの仕立て技術とミックスしたコージ・タツノの下でも働いています。
ただ、この時代はデザイナーたちの倒産が相次ぎ、コージ・タツノも倒産。
ここで新しいチャンスを求め、当時最も流行していたロメオ・ジリと働くためにミラノへ移動し、1年ほどロメオ・ジリのデザインアシスタントを務めます。
しかし、マックイーンの休暇中にロメオ・ジリがパートナーのカルラ・ソッツァーニと決裂したことで人気が急降下したので休暇から戻ることもなく、そのままやめてしまったのです。
この時点でもまだ21~22歳くらいだったのですが、伝統ある場所やどんな高名なデザイナーにも臆することなく、飛び込んでいく行動力と学んで自分のモノにする圧倒的なセンスがマックイーン成功の原動力なのです。
圧倒的な才能というのは批判もあれど必ず評価される
ここにきてついに名門セントラル・セント・マーチンズの門をくぐることになるのですが、面白いのは生徒ではなく講師としてでした。
講師としての仕事はパターンカッティングを教えることで、パーマンズ&ネイサンズでの経験が役立ちました。
そして講師としてセントラル・セント・マーチンズにいる間、同時に大学院課程を修了し、その卒業コレクションがVOGUE(ヴォーグ)のファッション・エディターだったイザベラ・ブロウの目に留まり5000ドルという破格の値段ですべてのコレクションを買い付けたのです。
卒業コレクションのテーマは「獲物を狙う切り裂きジャック」。
連続殺人犯と犠牲者の売春婦をテーマにした服を発表したのですが、実は犠牲者の一人が母ジョイスの家系が経営していた宿屋に滞在していたことから、こうしたコレクションを発表したのではないかと言われています。
イザベラ・ブロウは、イギリス版ヴォーグでこの買い付けた服を身に着け紙面を飾ったのですが、これは異例中の異例でまだ学校を卒業したばかりのデビューすらしていないデザイナーがヴォーグに掲載されたのです。
イザベラはその後もマックイーンの後援者、ミューズ、そして非公式の広報担当として「ロンドンの次の目玉」としてプロモーションを行っていったのです。
マックイーンとイザベラの関係は気になるところですが、マックイーンはゲイであり、イザベラも既婚者だったので男女の関係というものではなく親子のような関係だったようです。
1992年についにアレキサンダー・マックイーンがブランドとしてスタートしました。
マックイーンの創る服というのは創造性に溢れ、シャープ・テーラリングによる高い技術が合わさることにより「イギリスファッション界の救世主」と賞賛されたのです。
デビュー後のファーストコレクションが「タクシードライバー」で1976年公開の「タクシードライバー」という映画をモチーフにし、さらに自身の父親の職業に対するオマージュでもありました。
このコレクションで発表されたのが有名な「バムスター」と呼ばれるお尻の割れ目が見えるほどのローライズパンツで、他のデザイナーが真似をしたのもあってローライズパンツが大ブームとなったのです。
しかし、この時期のマックイーンはまだまだ極貧、失業手当で生活しているような状況だったので、製作にあたっての素材もサランラップやラテックスなどの安い素材を使っていたのです。
この頃はすでにかなり有名になっていましたが、知名度と収入というのは必ずしもイコールにはならないものです。
マックイーンを一躍有名にしたのが、1995年の「ハイランド・レイプ」
かなりチャレンジングなコレクションでしたが、ランウェイに登場したモデルが引き裂かれた衣服をまとい、胸やお尻が服から出ている上、ふらふらと苦悩の表情を浮かべてランウェイを歩かせたことから「暴力的」、「女性を軽視」などのバッシングが起こったのです。
実際のところは、祖先がスコットランド人であったことからイングランドに侵略された歴史を表現したもので、女性を強い存在として表現したかったとのこと。
マックイーンの姉が夫からDVを受けていた過去、そして自身も暴力を受けていた過去から女性に対するネガティブなイメージを払拭したいという想いもあったようです。
ジバンシィのチーフデザイナーに大抜擢された不幸
賛否両論はありましたが、マックイーンの独自の世界観は評価され1996年にGIVANCY(ジバンシィ)のチーフデザイナーに指名されたのです。
今ではリカルド・ティッシの時代にストリートテイストを提案しブレークしていますが、この時はユーベル・ド・ジバンシィから脈々と続くオートクチュールブランド。
LVMH(ルイ・ヴィトン・モエ・ヘネシー)のベルナール・アルノー会長から承認を発表された時にファッション界からは大きな議論が巻き起こりましたが、一番驚いたのはマックイーン本人だったかもしれません。
この時ですらまだ27歳。
本人ですら後々、早すぎたかもしれないと語っている通り、最初のコレクションでは世界中で酷評されるという自体に陥ったのです。
それでも、これまでの形式的なモノへ反発し、これまでの慣習であったアトリエへの職人の入室禁止といったルールを取っ払っていきました。
そしてユーベル・ド・ジバンシィの時代やブランドの歴史といった一般的なクリエイティブ・ディレクターが一番最初に行う過去のアーカイブの研究や再解釈といったアプローチとは全く逆をいく姿勢を貫いたのです。
マックイーンの就任による話題性によって売り上げは伸びましたが、それでもジバンシィという伝統の重しによって酷評されることは多く、マックイーン自身が「ジバンシィ時代は不幸だった」と語っています。
ただ、このジバンシィとの契約に至ってはひとつ大きな問題点があり、それがイザベラ・ブロウとの決裂です。
学生時代からサポートしてくれたイザベラをジバンシィとの契約から外してしまい、その結果として2人の関係が崩れていったのです。
買収によってクリエイティブに専念し才能をより開花
2000年にマックイーンにとってはジバンシィとの契約に匹敵する大きな転機が訪れます。
それがグッチグループによるアレキサンダー・マックイーン株の買収です。
このグッチグループによる「アレキサンダー・マックイーン」ブランドの買収によって、ジバンシィの親会社であるLVMHとの関係が悪化し、契約終了前にデザイナーを更迭されるのですが、実はマックイーンにとっては渡りに船といった感じでジバンシィとアレキサンダー・マックイーンの2つのブランドで年間に10回以上という殺人的なスケジュールに辟易としていたのですが、ジバンシィの報酬でアレキサンダー・マックイーンの運営をしていたのでLVMHとの契約を切ることが出来ずにいたのです。
そこにクリエイティブ面の指揮はマックイーンに全面委任し、かつ資金援助を行ってくれるグッチグループからの買収提案だったのでマックイーンからすると願ったり叶ったりで、よりクリエイティブに没頭できる環境を手に入れることが出来ました。
1996年にジバンシィのクリエイティブ・ディレクターに就任した年に初めてブリティッシュ・デザイナー・オブ・ザ・イヤーを獲得し、翌1997年にも獲得しましたがこのグッチの買収後の2001年、そして2003年の計4回受賞しています。
そして、2003年にはアメリカのCFDAからもインター・ナショナル・デザイナー・オブ・ザ・イヤーを受賞し、さらにファッション業界への貢献が称えられ大英帝国3等勲爵士(CBE)を授かり、アレキサンダー・マックイーンとしては2000年以降にさらに活躍の幅を広げていった事が分かります。
終焉は突然に
2010年2月10日、衝撃的なニュースがファッション業界に駆け巡りました。
なんと40歳の若さにしてアレキサンダー・マックイーンが自殺により、この世を去ったのです。
この要因としては2人の母の死が関係していると推測されています。
2007年には学生時代のデビューからマックイーンをサポートしてくれ、ジバンシィとの契約によって関係が疎遠となったイザベラが自殺しており、マックイーンは彼女の霊を呼び寄せようと何人もの霊媒師に相談をしていたと言われています。
そして、この頃からマックイーンはドラッグや脂肪吸引などに手を出し、太っていたやんちゃなイギリス男子からハイブランド業界の成功者のようなスタイルへと激変を遂げていました。
鬱状態や被害妄想などがこの頃から発症していたとされており、2010年には母のジョイスもこの世を去っています。
アレキサンダー・マックイーンがこの世を去ったのはまさに母ジョイスの葬儀の前日だったのです。
直接的な自殺の原因としては鬱病などが取り上げられていますが、間接的な要因としてはイザベラとジョイスという2人の死というのが大きく関係していたと考えられます。
イギリスの階級社会の中で、幼い頃からファッションデザイナーで成功することを想像し、それを自身の行動力と才能によって開花させ、賛否両論、様々な議論を巻き起こしながらも天才として歴史に名を残したデザイナー。
ファッションを通して自身を表現し続けた彼のスタイルは、簡単に理解できるとは言い難いことも多いのですが、それでもイギリス、そして世界のファッション界に与えた影響というのは計り知れません。
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